マンガからだって学べる! イントリックスメンバーの「この一冊」
~マンガ編~
“傲慢にならず、他人の意見を大切に”
システムコンサルタント:矢島宏章の「この一冊」
『三国志』(横山光輝)
幼心に、関羽の死はあまりにも衝撃的過ぎた……
これまでたくさんのマンガを読んできたなかで、最も私の心に刻まれているのは、約1800年前の中国の歴史を描いた物語、三国志です。関羽の死、それは「たとえ自分にとって都合が悪くても、人の意見に傾聴すること」の大切さを教えてくれました。
生まれて初めて手に取ったマンガでもある、横山光輝の『三国志』。全60巻のうち前半20巻までは、使命感・絆・運命をなど心に訴えるシーンを中心に描かれています。全く中国の歴史を知らず、4~5歳だった私は、劉備・関羽・張飛の三人が救世主として活躍する物語だと信じていました。21巻「孔明の出廬」、26巻「赤壁の戦い」では、ワクワク感が最高潮に達しました。
劉備勢力(以下、蜀)が領土拡大の益州攻めを行うため、蜀の軍師孔明は本拠地荊州から離れます。その際、守備を任せる関羽に「北の曹操には徹底抗戦だけど、東の孫権とは仲良くやってね!」と言葉を残して、益州に向かいます。
この言葉、三国志の物語の根幹をなす「天下三分の計」の戦略を分かりやすく表現したものです。「国が小さい蜀は、呉と連合して魏に対抗しつつ、領土を拡大する」ということです。しかしながら、物語中、関羽は呉の君主孫権からの婚姻要請に対して、「虎の子を犬の子に遣れるわけがあるまい!」と断固拒否の姿勢を取ります。
個人的な事情を重視して、蜀の行動規範となる天下三分の計の戦略を守らず。結果、関羽は北の曹操と東の孫権から同時攻撃を受け、捕縛され斬首刑に至ります。
一騎当千の将として前半では大活躍し、「軍神」とまで呼ばれた人物のあまりにも惨めな最期。軽率な行動の末路です。なぜ私情を優先させ、国の戦略に従わなかったのか……
好きな登場人物だったからこそ、自身の傲慢さによって死を迎える関羽に対して、哀れみと失望を覚えました。
「私は、こうはなりたくない。あまりに惨めすぎる――」
幼心ながら、自分にとって都合が悪いことでも、必要なこと・大切なことであれば傾聴しようと、心に決めたのでした。
この関羽の行動は、三国志全体の国威にも影響を与えます。関羽の死によって魏と呉が荊州を占領。三国の国力バランスは、魏・呉・蜀=5・2・1ぐらいの割合になります(人口比率)。
魏の曹操様(!)の息子、曹丕は安定して国を運営する君主と評され、盤石の体制を築きます。呉は魯粛・呂蒙・陸遜・陸抗と次々に優秀な都督(軍の司令官)を輩出し、付け入る隙なし。天才軍師と謳われた孔明がいくら頑張っても、国力差をひっくり返すことはできず、ジリ貧状態へ。孔明死後、厭戦ムード漂う蜀は魏に滅ぼされます。
子どもの頃、何度も読み直すうちに、「三国志の終わりは関羽の死から始まっている」と感じるようになりました。だからなおさら、関羽の取った行動に対して、失望は深かったです。
仕事において、どれだけ年を取り経験を積んでも、自分は関羽のように傲慢にならず、都合の難しい状況下にあっても、他人の意見を大切にしようと考えています。
(関羽じゃなくて、張遼が荊州を守ってくれていれば最高だったのに。)
“重要なのはターゲットの絞り込み”
アナリスト:坂本勝の「この一冊」
『神聖モテモテ王国』(ながいけん)
20年以上前、『週刊少年サンデー』に連載されていたこのマンガ。当時はもちろん、大人になって改めて読んでも、しみじみと学ぶところがあるマンガだと評価しきりです。
あらすじは、謎の宇宙人「ファーザー」と学生服を着たメガネ坊主の中学三年生「オンナスキー」の二人が、彼らだけの約束の地「モテモテ王国」の建国を目指し、とりあえず街に繰り出すという、ナンセンス系のギャグマンガ。(訳が分からないと思いますが、書いている私もこれ以上具体的に説明することが困難なので、ご容赦ください……)
このマンガで印象的なのは、出てくるセリフ。特にファーザーの言葉遣いの、一見ランダムなまでにネタ満載な具合です。例えば、探偵(?)に扮したファーザーのセリフ、
「以上、古畑ファージャブローでした」
こんな短いなかに、
・古畑任三郎(刑事ドラマの主人公)
・ファーザー(自分の名前)
・ジャブロー(『機動戦士ガンダム』に出てくる地名)
という3つの要素が込められています。しかも、これらの情報に関する解説は一切ありません。古今のドラマ、映画、マンガ、ことわざ、歴史などに関するパロディが解説もなく無造作にちりばめられ、マンガ内の言葉を借りて言えば、まさに「豪快すっ飛ばし漫画(読者を)」。
『神聖モテモテ王国』の言葉は、万人に理解しやすいものではないかもしれません。でも、分かる読者はついニヤリとさせられてしまうでしょうし、複雑なパロディが印象に残ることは間違いありません。細かく解説されては、むしろ面白さが損なわれます。その意味で、作者のながいけん氏は、自分の言葉が届く読者像をしっかりと胸に持っていたのだと思います。
Webサイトのコンテンツを検討する際、コピーや文章に悩まされることが、多々あります。そんなとき、ターゲットユーザー像を絞り込み、彼らに刺さる言葉を吟味して選び抜くことが何より大切です。
『神聖モテモテ王国』は、ぶれることなく読者(ユーザー)を設定し、豊饒なパロディと言語表現を提供することで、深い影響を与えることに成功した事例なのだと思いました。
“未知の領域に対し、自身の経験との共通点を見つける力”
アナリスト:道場一統の「この一冊」
『とんかつDJアゲ太郎』(原作:イーピャオ 作画:小山ゆうじろう)
「とんかつ屋とDJって同じなのか?!」
この奇天烈な台詞と共に、音楽好きから熱い支持を得た、『とんかつDJアゲ太郎』。
連載当時、一人の音楽好きとして私もご多分に漏れず愛読していましたが、社会人となって半年経った今読み返してみると、仕事にも活かせる学びを含んでいることに気づきました。
本作はタイトル通り、主人公・揚太郎が家業のとんかつ屋と、運命的な出会いから始めることになったDJの二足のわらじで、のし上がっていくサクセスストーリーです。全く異なる二つの職業の両立は難しく、彼はとんかつ屋としてもDJとしても数々の苦難にぶつかることになりますが、ある特徴的な考え方で突破していきます。
それは、未知の領域に対して、自身の経験との共通点を見つけて、最適解を想像し、問題を打破するという導き方です(冒頭のセリフに繋がります)。
例えば、DJは絶え間なくフロア(ユーザー)の様子を観察し、求められているタイミングで求められている曲を選び出し、プレイする必要があります。同様にとんかつも、揚げられている豚をよく観察し、ベストタイミングで油から引き揚げ、即座に切り分けないと美味しくできません。
双方に共通するのは、「よく観察すること」「ベストタイミングを逃さないこと」の二点であり、揚太郎はとんかつ屋として培ったグルーヴをDJにも適用することで、急成長します。また、彼はとんかつ屋の修行においても、DJで培った経験を活かして成長していき、見事に両立した「とんかつDJ」として活躍する姿が作中で描かれています。
改めて読み直してみると、揚太郎の考え方は、社会人生活にも活かせるのではないかと思うようになりました。
社会人となって半年。まだまだ未知の領域は続きます。特に、明確な答えがないWeb戦略において、常に方法をマニュアル的に蓄えていくだけでは対処しきれません。「○○と△△って同じなのか?!」という柔軟な視点を大事に、揚太郎のように自身の経験を最大限に活かし、最適解の仮説を立て、実行することを心掛けようと思います。
終わりに
歴史からギャグまで、さまざまなジャンルで、メンバーそれぞれのマンガに対する熱い思いと、そこからの学びを語ってもらいました。多少こじつけに見えないでもないところもありましたが、まあ、そこはご愛敬で。マンガを読むとき、ただ“楽しんで終わり”ではなく、頭の片隅で仕事への活かし方を意識すると、一味違った面白さがあるのかもしれませんね! イントリックスのメンバーに会う機会があったら、ぜひ、マンガの話題を振ってみてください。